『こんな会社で働きたい』 掲載されています!

「茨女」の川井真裕美さんに取材・掲載いただいた書籍が今日発売!

素敵で読みやすい文章とレイアウト。

子連れ出勤してみたい方、募集してまーす。

茨城県の魅力的な企業を多数紹介している本 『こんな会社で働きたい(茨城編)』
なんと、モーハウスのページ、著作権フリーとのご連絡をいただいたので、
せっかくなので掲載します!
 
 
 

【おっぱい百話】おっぱいと着物

昨日は成人式でしたね。
街角でも新成人のはなやかな着物姿を見かけました。
 
着物はきゅうくつな印象がありますが、
昔の人は、この着物を着て授乳をしていたわけで。
じつは、モーハウスの授乳服のいくつかも、着物がヒントになっているってご存知でしたか?
 
交差した衿をぐいっと下ろしての授乳。
胸高にきっちりとした今の帯の締め方と違って、昔はゆったり帯を締めていたんですね。
これ、カシュクールタイプの原型と言えます。
 
また、袖の下の、脇縫いを縫い合わせずにあけてある部分、身八つ口。
なぜ空いてるんだろう?と昔不思議に思っていましたが、
話によれば、昔はこの身八つ口から授乳をしていたとのこと。
 
そういえば、この身八つ口、男性の着物にはありません。
空いている方が動きやすいからだとか、通期が良くなるからだとか
いろいろ説はありますが、授乳をするかしないかの違い、と考えれば納得かも。
 
身八つ口がベースになっているのは、ご存じ、サイドスリットタイプ。
授乳しやすいよう、身八つ口のように脇ではなく、やや前になっています。
もし身八つ口から授乳する場合は、こんな風に少し前に回すとやりやすいです。
 
着物は、ふだん着として使われ、生活に密着した民族衣装。
幅も長さが調整で着たりと、ユニバーサルデザインの要素も持っている合理的な服です。
授乳も生活の一部なのですから、授乳しやすくできているのも合点がいきますね。
 
いつか、他の国の民族衣装の授乳方法も調べてみたいものです。

グラン・ジュテ、海外へ

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去年、取材・放映された、NHKの特集番組「グラン・ジュテ」
昨年放映された中から、
反響が大きかった何本かが選ばれて
海外放映用に、英語版とスペイン語版が作られたそうです。

昨年暮れから、何回かご連絡をいただいていましたが
先日、NHKのご担当の方が、DVDを届けてくださいました。

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

お礼にと頂いたお菓子。立派な箱入り。

ナレーションが英語になっているのと
私の喋りに字幕が付いているのと。
なんだか新鮮です。

どんなところで放映されることになるのか?
楽しみです

授乳服誕生物語(ダイジェスト)

 1997年に、私は次女を出産しました。助産院での水中出産です。
 長女のときには、妊娠中毒症で入院し、NICUに入り、その結果なかなかス
ムーズにいかなかった母乳というものを、今回は楽しんでみたい。
そう思って楽しみにしていたのですが、現実は厳しく、最初1ヶ月は母乳が足り
ない日々が続きました。
 でも、助産師さんの助言を受けつつ続ければ、なんとかなるものです。ようや
く順調なおっぱいライフが始まった、次女・生後1ヶ月頃のこと、私は、長女と
次女、二人の子を連れて、自宅のつくば市から、東京は立川まで、友人を訪ねて
出かけることにしました。
 当時のつくばは、まだつくばエクスプレスが開通前の、陸の孤島。都内までは、
高速バスで行くしかありません。バスからJR中央線を乗り継ぎ、吉祥寺を少し
過ぎたあたりで、その事件は起こりました。
 次女が泣き出してしまったのです。
 抱いてあやしてみても、暑いのかも、と服を脱がせてみても、長女が声をかけ
ても、何をしても泣き止みません。
 閉じられた電車内という空間では、泣き声は大きく響いて、視線が集中します。
パニックになってしまった私は、電車から降りるということすら、思いつきませ
ん。とうとう、ブラウスの前ボタンを外して、車内授乳に踏み切ったのです。
 
 もちろん車内の人たちは、皆、私が何をしているかに気がついたと思います。
 そのときの戸惑い、恥ずかしさ、大きな違和感…。
 
 私は、幸いなことに「おっぱいって楽よ」と、産院で教えられてきました。
 それなのに、こんな思いをしないとれでは、母乳は私の行動を制限してしまう。
 母乳で育てたいからと、外出をがまんする人もいるだろうし、
もしかすると、そのために母乳をやめなくちゃ、と考えてしまう人もいるかもし
れない。 
 
 このときの体験がきっかけで、私は授乳服を作りはじめました。
 これを何かで解決できないか?と考えたのが、授乳服です。
 
 初めて私が授乳服を着たときの気持ちは、想像を超えるものでした。
着て、使ってみて「あ、なるほど、便利ね」ではありません。
着た瞬間に「ああ、私はこの子を連れて、どこでも行ける、何でもできる!」と
いう開放感と自信。

 そして気がついたのは、
「この開放感の分だけ、今まで気がつかないまま我慢してたんだ」ということ。
 
 当時は、今以上に、母親たちは子どもが生まれると家に閉じこもりがちな時代
でした。子どもを産んでから1年、気が付いたら夫以外の大人と話をしていない、
という人も珍しくありませんでした(もちろん、今もそうした人は少なくないは
ずです)。
 授乳服を着ることで、当時、今よりずっと家に閉じこもっていた母親たちが、
外に出られるようになれる。産後のライフスタイルを変えることができる。そう
した気持ちから、私はモーハウスの活動を始めたのです。

授乳服を作り出したわけ 第37回

・法人化 

モーハウスは、今、「モネット有限会社」を設立し、授乳服の製造販売を
その事業としています。

当時、NPOにするか、会社にするか、実は迷いました。
活動内容からすると、NPOにかなり近いものがあったので、スタッフはじめ
いろいろな方に相談しました。
でも、ゆくゆくは、モーハウスで働く女性たちにも、自立できるくらいの
給料を出せるようにしたい、との思いがあり、結局「会社」を選択しました
(もちろん、NPOでもお給料は出るのですけどね)。

法人化の手続きは、プロに任せた方がいい、と、モノの本には書いてありますが
そんなお金もない私たち。
やはり自分たちでやろうと決めました。

当時のスタッフ2人と私。皆子連れで、関係機関を回り、どうにか自力で
有限会社設立を果たしたのです。

授乳服を作り出したわけ 第36回

・イベントのはじまり 

それでは、本当に授乳服が必要な人、情報を届けてあげなければいけない人に
こうした情報にたどり着いてもらうにはどうしたらいいのか?

そう考えた時、ごく自然に、今までお手伝いしてきた「いいお産の日」が
イメージとして浮かんできました。
そうだ、茨城でもあんなイベントをやりたい。
授乳服と違って全国には届けられないかもしれないけれど、まずはこの地域だけ
でもやってみよう、と。

ちょうど、当時編集長をやっていた地域育児情報誌で何かイベントをやろう、と
いう話にもなったので、中にお産おっぱいイベントコーナーを作りました。

助産師さんにも誰か来てもらえないか、と考えました。
以前から手伝ってくれていた、ご近所で開業された助産師さん。
それから何人かにも、おそるおそる声をかけてみたら、皆、気持ちよく
参加してくれることになりました。

実は、今日、水戸でのイベントの取材を受けました。
たまたま一緒に取材を受けた中に、当時から手伝ってくれている助産師さんが2人
いて、一緒に思い出してみたのですが、そうそう、授乳ショーも出産ショーも
実は初回のこのメンバーの時に始めたのです。

授乳服を作り出したわけ 第35回

・授乳服にたどり着く人たちって? 

授乳服は、当時は、本当にマイナーなものでした。

以前、伊勢丹が、「女性を応援する」というスタンスで、授乳服のコーナーを
作ったことがあります(もちろんモーハウスの服ではありませんが)。
伊勢丹といえば、スタッフは優秀だし、センスも良いし、で、デパートの中でも
ちょっと別格という雰囲気がありましたので、私は「さすが!伊勢丹!」と
感心したものです。
でも、かなり短期間のうちに、そのコーナーは無くなってしまったと聞きました。
やはり、当時は売れなかったのでしょうね。

それでも、どこからかモーハウスにたどり着いて、資料を請求してくれる方や、
注文をしてくれる方は着実にありました。
その中にはいろんなユニークな方もいらして、個人的に仲良くなる方も出てきまし
た。

でも、そのうち、私の心に疑問がわいて来ました。

決してメジャーではない「授乳服」「モーハウス」という存在にたどり着ける人。
彼女たちって、情報を収集する能力に長けている人だよね。
それだけの力がある人ならば…。
もしかしたら、授乳服がなくても、ちゃんと自分で外に出て行ける人たちなのかも。
本当に授乳服を届けたい人は、もっと他にいるのかもしれない…

授乳服を作り出したわけ 第34回

・2つ目のモーハウスサークル 

札幌にこんなサークルができました、と告知をし始めてからしばらく経った頃
のこと。
次に名乗りを上げてくれたのは、千葉の方でした。

彼女は、なんと5人目のお子さんに授乳中という助産師さん
(この頃は、5人目!と驚きましたが、今では5人のお子さんをお持ちの方、
結構知り合いに増えました。ひたち野うしくサークルの場所をお借りしている
お宅にも、やはり5人のお子さんが)。

オープンハウスの雰囲気を体験していただいて、その場でサークルを開いて
下さることが決定。
自宅もいずれ改築して、たくさんの方が来られるようにしたい・・との
夢を持ちつつ、会場を借りてのサークルを開いて下さるようになりました。

助産師でもある、ということで、千葉方面でのイベントにも助っ人として
参加して下さったり、本当に彼女にもお世話になってきました。

今は、定期開催ではなく、問合せに応じてオープン、という形を取って
下さっています。

授乳服を作り出したわけ 第33回

・オープンハウスのはじまり、続き 

札幌に引っ越すことになった彼女と、名残を惜しんであれこれおしゃべりを
するうち、何となく、札幌でもオープンハウスをやってよ、という話に
なりました。

引っ越していった土地で、お友達ができるきっかけにもなるだろうし、と
お互いに軽く始めた話だったのですが、何と言っても、他の地区での
オープンハウスなど、初めてのこと。
どんな風になるのか想像も付かなかったのですが・・。

ひとえに彼女の人柄のなせる業なのでしょう。
彼女の自宅を開放しての小さなオープンハウスには
いろんな方が訪れるようになり・・。

お客さまでもある鍼灸師の方が常連さんになると、彼女から鍼灸の体験が
受けられるようになったり。
いろんな地を点々とされているカレー屋さんが来てくれたり。
ほとんどの材料を自分で手作りされているケーキ屋さんも出入りするように
なったり。

まあ、傍で聞いていてうらやましいほど、楽しそう。
つくばで私が開いているオープンハウスとは、また違う味が出ていて。

もちろん、授乳服の試着もするのだけども、
さまざまな情報交換、そしてさまざまな人が集まってくる場になっている。

ああ、こんな場所がもっと増えるといいなあ、と。
そんな風に思いました。

授乳服を作り出したわけ 第32回

・モーハウスを広める? 

オープンハウスはいつの間にか、そんな風な、
いろんな人がいろんな人が訪れて、
いろんな人が気持ちが楽になって帰ってくれる、サロンに成長していきました。
助産師さんとママたちの交流の場にもなりました。

ところが、つくばは、転勤族の多い土地柄。

ちょくちょく顔を出してくださるお客さまの中にも、転勤の季節になると、
遠くに引っ越してしまわれる方が結構いらっしゃいます。
寂しいことですけれど、仕方ありません。

そんな中には、引っ越した先からお手紙やfaxを下さって、
カタログをその地のお友達に渡してくださったり、
次のお子さんの妊娠中に、かかりつけの病院にご紹介くださる、という方が
何人もいらっしゃいました
(本当にありがとうございます!>皆さま)。

いつもオープンハウスにいらしていた大鐘さんもその一人。

ある日、札幌に引っ越すことになった、という話にいらっしゃいました。