授乳服を作り出したわけ 第31回

・オープンハウスのはじまり、続き

当時手伝ってくれていた中の一人は、助産師でした。
たまたま、その彼女がご近所に住み、さらに、3人目を出産したばかりだったと
いうのは、ラッキーだったと言うほかありません。

彼女がオープンハウスにいてくれることで、訪れた人たちのおっぱいの
悩みなどに答えてくれる人ができました。
もちろん、手伝ってくれる友人たちも私も授乳中ですから、経験者としての
答えはできますし、訪れる人たちはおしゃべりを楽しんでくれるようになりました。

その頃からオープンハウスには、お買物に限らずいろいろな人が訪れてくれる
ようになっていました。
その中で知り合った一人に頼まれて、私は地元の育児雑誌の立ち上げを手伝う
ことになりました。
ここは、今では子育て支援のNPOになっています。

結果的に、経験が少しある、というだけで編集長になった私は、
「それならお産情報誌をやろうよ」と、お産情報の収集をはじめました。

助産師さんの情報も雑誌に載せるから、これを機におっぱい専門で開業したら?
と言う私の話に乗ってくれたのかどうか、彼女は「めぐみ母乳育児相談室」
として開業することになります。

授乳服を作り出したわけ 第30回

・オープンハウスのはじまり 

時、私の周りには、たまたま年の離れた三人目を妊娠中の友人が
何人かいました。
彼女たちは、妊娠中から出産後も、授乳服の製作を応援してくれ、
試着、モデル、販売から、さらにお客になってくれてもいました。

その彼女たちからの提案が、「週に一回、せめて月に一回でもいいから
家を開放して、オープンハウスをやったら?」
というものでした。

とはいえ、こんな特殊な製品を、わざわざつくばの片田舎に買いに来る人が
何人いるの?と思うと、私はとてもその話に乗る気にはなれませんでした。

でも、結局のところ、彼女たちが来ると、一緒にお茶を飲んで半日過ごすのが
この頃でした。
それなら、一応家をオープンしておいて、誰も来なければ、自分たちで
お茶を飲んでいればいいんじゃないの?

そんな風に言われて、ようやく決心が付きました。

今や、毎回入りきれないほどの人がみえ、週1回のプチオープンも開くように
なった「オープンハウス」の始まりです。

授乳服を作り出したわけ 第29回

・取材を受ける 

授乳服に関して受ける、初めての本格的な取材。
しかも、撮影付!

ライターの三好さんの聞き上手に乗せられて、ついついいい気になって
たくさんしゃべってしまいました。
今まで買い集めた、内外の授乳服や授乳用品コレクションも披露。

知り合いのマタニティビクスのインストラクターさんが、たまたまその日
何人かのママを連れて遊びに来てくださり、服選びをしたりしている写真も
撮っていただくことができました。

三好さんたちにも「こんなに長居するつもりはなかったんだけどね?」と
恐縮されるくらい、じっくりと話を聞いていただき、お茶を飲み、
楽しい取材の一日でした。

取材の中で、私自身のプロフィールを聞かれました。
その時初めて思い出したのが、「ああ、私、被服学科出てます!」ということ。

これまでしてきた過去の仕事の中では、すっかり被服とは離れていたので、
なんと、すっかり忘れていたのです。
いや、情けない・・・。

そしてそして。
三好さんからその時いただいた神の声!
「せっかくだから、ホームページのアドレス載せましょうよ。
え、ないの? それなら、作ったら??」

というわけで、取材先行で、ホームページを立ち上げることになったのです。
99年初めのことです。

授乳服を作り出したわけ 第28回

・ライターさん

その「いいお産の日」、あちこちをうろうろと見て歩くうち、
私はいろんな方と知り合うことができました。

そんな中、私はある女性に話しかけられました。

落ち着いた口調で話し、なんとなく初めて会った感じのしない彼女は、
河合蘭さんと一緒にリボーンの編集をしている、三好さんという方でした。

彼女の話は、何と、私の取材をしたい、というものでした。
しかも、媒体は、NHKの『すくすく赤ちゃん』!

そんなメジャーな雑誌に載るなんて、ほんの小さい記事でも嬉しい!
でも、本当かなあ??
話半分で、当てにならない話じゃないの??

・・・と思っているうちに、彼女はカメラマンを連れて、本当にわが家に
やってきました

授乳服を作り出したわけ 第27回

・イベント会場で

わけのわからないままに、プログラムの編集をお手伝いし、
11月3日当日、東京でのイベントにも参加しました。

たまたま私が編集をお手伝いしたページは、お産の情報紙「リボーン」
の皆さんが関わっているページでした。
そう、私がお手紙を書いて、授乳服のことを載せていただいた
河合蘭さんが作っていらっしゃる情報紙です。

プログラム編集中も、お電話で何度かお話ししたこともあり、
会場で、初めてお目にかかってお話しすることができました。

また、その日持参した初期モデルの授乳服や穴あきシャツは、会場に
いたスタッフの方々の何人かが買ってくださいました。

前にこのコラムに登場した熊手さんや、実行委員長をしていた水戸川さん
(確か赤ちゃんが生まれて間もなくだった)も買って下さったのを
こうして書きながら思い出します。

確か、『分娩台よ、さようなら』の著作でご存知の方も多いと思いますが、
明日香医院の大野先生もいらしていたのは、その年だったか翌年だったか。
とにかく、お産なんてたいして興味もなかった私が、突如、ディープで
すごい方々がいっぱいいる、その世界を垣間見た日でした。

授乳服を作り出したわけ 第26回

・いいお産の日

教えていただいたイベントというのは「いいお産の日」。
私は初耳でした。

でも、「そこでチラシを配ったりできると思うわよ」とのアドバイスを
いただいて、とにかく、教わった電話番号・・・実行委員長の水戸川さんに
連絡をしたのでした。

ところが、その電話を切った時、決まっていたのは、チラシを置いてもらえる
ことではなくて・・・
なぜか、イベントのパンフレットの編集を手伝う、ということでした。

どうも話の成り行きで、私が編集業をやっている、ということがばれてしまい、
じゃー手伝って!ということで盛り上がってしまったのだったと思います。
うーん、うまく乗せられてしまったなあ。

以前わが家の取材に来た際、カメラマンと私と3人でお産話で盛り上がった
建築雑誌の編集者と、その頃メールのやり取りをしていたのですが、
驚いたことに、彼女もちょうど同じタイミングで、このイベントの編集を
手伝うことになっていました。
(その後彼女のご主人は、その縁で、私の作っていた情報誌の装丁や、
リボーンのレイアウトなどの仕事をすることになるのです)。

まあ、嫌いな仕事じゃないし、面白そうだし、いいか!と、
そちらの仕事に没頭したのでした。

授乳服を作り出したわけ 第25回

・特許 

小学館で教えていただいた3つのうち、イベントのことは長くなるので次回以降
に回すとして、もう一つが特許のこと。
これからいろんな所で販売したり、紹介されたりするようにしたいなら、
まずその前に特許を取らないと真似されちゃうよ、と教えていただいたのです。

正直、そこまで大げさなことだとは考えていなかったのですが、実は特許庁には
私にはちょっと身近な存在でした。
と言っても、たいしたことではないのですが・・・私の大学の研究室の先輩が何人か特許庁に就職しており、その縁で、私も
含めて職場見学をさせていただいたりしていたのです。
就職に関しても珍しモノ好きの私のこと。
あの有名な「トウキョウトッキョキョカキョク」で働くというのも魅力で、
試験を受けることも半ば本気で考えたのですが、霞ヶ関の官庁はかなりの難関。
結局優秀な友人が2人、試験を突破して就職したのでした。

そんなわけで、友人とも久々に話もしたいし、と、軽い気持ちで、特許の取得を
することにしましたが、当然ながら、そんな簡単な話ではありませんでした。

弁理士の先生と、何ヶ月も打合せを繰り返し、何回も添削をされ・・・
学生に帰って、論文を書くような気持ちで書類を作りました。
何とかかんとか、最終的に書類を出すことができたのでした。

そして、イベント。

授乳服を作り出したわけ 第24回

・情報、いただく 

知り合いの伝手をたどって、大手出版社・小学館に来た私。
当時は、『P・and』というマタニティ雑誌がありました。
ここの編集の方とお会いしていろいろお話をする機会を得ました。
私にとっては、とても影響力の大きなお話でした。

3つのことを教えていただきました。
ひとつは、イベントを紹介していただいたこと。
もうひとつは、雑誌に掲載したいなら、まず特許を取らなきゃ、ということ。
それから最後に、こちらはご本人は教えたつもりではないのでしょうが、
働きながらの授乳のこと。

彼女自身、2歳のお子さんがいらっしゃるのだと聞きました。
そして、その子には、今でも授乳をしている、というのです。
今と違って、母子手帳には「断乳しましたか?」の表現があった時代。
私も、母乳は1歳くらいで終わり、と漠然と思い込んでいました。
まして、仕事をしながら授乳を続けるなんて。

私にとっては、とても衝撃的な体験談でした。
その後もマスコミ関係や助産師さんなど、何人かの「お産業界」の方々にも
同様の体験を伺い、だんだんとわかったような気がしてきました。

授乳を長く続けても大丈夫。
雑誌の誌面など、一般には出てこないことだけど、仕事柄、そうしたことを
情報としてわかっている人たちだから、長期授乳ができるのです。
私のような、普通の人たちは、知らないから、1歳で「断乳」しなきゃ、と
思ってしまうのです。

そして、「仕事に復帰したら、おっぱいはやめなくては」と思い込んでいた
私は、「仕事をするからこそ母乳」「保育園に行くからこそ母乳」と
いう発想の転換をするに至りました。

彼女の話を聞いてもそうでした。
昼間の離れている時間を、たちまち埋めてくれる。
働く忙しい女性にとって、おっぱいは最高のコミュニケーションの方法なのです。

授乳服を作り出したわけ 第23回

・小学館へ 

さて、以前の職場で私はプロモーション局という部署に属していたのですが
その部署の中に、実は「パルコ出版」が含まれていました。
パルコ出版は、有名なところでは『ビックリハウス』を出していたので
同世代ならば、ご存知の方も多いかもしれません。
地方の中学・高校にいた私にとっては、『スーパーアート』という雑誌や、
さまざまな美術・デザイン関係の書籍を出している、アコガレの出版社でした。

私が入社した頃には、すでに『ビックリハウス』もなく、編集部は『アクロス』
というマーケティング情報誌と美術書などの製作が中心になっていました。
私も一時、研修として在籍したり、展覧会の仕事でコラボレーションしたり
していたので、編集は割と身近な存在だったのですね。

何しろ、ここには優秀な方たちが集まっていました。
(少し前にベストセラーになった『捨てる技術!』の著者・辰巳渚さんも
この編集部の出身で、ついでに大学の後輩でもあります。)
優秀ゆえか、他の出版社への転職組もたくさんいました。
「流行通信」など、ややマニアックな所への転職が多かったようですが、
その中に、大手出版社・小学館に転職した人が何人かいたのです。

私も仕事上お付き合いがあった出版社もいくつかありましたが
(それらは自分も好きだったので好んでお付き合いを作っていたわけですが)、
『太陽』『サライ』『ブルータス』『スタジオ・ボイス』・・・
うーん、今考えても、子育て系とは全く接点がない出版社ばかり。

で、ある時、小学館を訪ねてみることにしました。

授乳服を作り出したわけ 第22回

・雑誌への掲載  

お世話になっている助産師・石塚先生のお姉さまは、なんと、かわいきみ子さん
という有名な子ども服のデザイナーさんでした。
手作りの子供服の本などでご存知の方も多いのではないでしょうか。
出版社との仕事の多いかわいさんからのルートで、石塚先生も時々、編集の
方に頼まれて雑誌に登場されていました。
その伝手を頼り、私もマタニティ編集者の方のご紹介を得ることができたのです。

初めての書店に並ぶ雑誌への掲載。
それは・・・ショッキングピンクの穴あきシャツでした。

まだTシャツを一から作る力がなく、市販のTシャツに穴をあけ、ロックミシンで
かがって販売していた頃のものです。
市販の品なので、いろいろなカラーのものを作っていました。
とはいえ、もちろん中心は白や黒。
さすがにピンクは数枚しか作っていなかったのですが
「派手な方がわかりやすくていいわよ?」
という編集者の方の一言で、この色の掲載が決定。

今にしてみると大胆すぎる選択だったと思うのですが、さすがにプロです。
確かに見栄えはしました。
そして、ここからも何件もの問い合わせをいただくことができました。